蔵造りの観音開扉

Taken with a Rolleiflex MiniDigi

【写真】Kuradukuri @ Kawagoe Kuradukuri Zone
Kuradukuri @ Kawagoe Kuradukuri Zone [ View on Flickr ]

川越市の観光名所の一つ「蔵造りの町並み」にて撮った写真で、蔵造りの特長の一つである観音開扉を中心に撮りました。ミニデジなので、いまいちよくわかりませんが、、、よくも悪くも重厚感は出てます(笑)。

ちなみに、「蔵造り」なんて書かれると、単なる倉庫群のような感じがしますが(自分はそう思ってましたが(笑))、川越の場合はちょっと意味合いが違うとのことです。


蔵造り資料館のHPによれば、

川越の蔵造りの特徴は、倉庫としての蔵でなく、店舗を蔵造りとした「店蔵」であるといえます。通りに面した商家の顔である店舗を蔵造りにすることで、周辺からの類焼を防ぎ、裏につづく土蔵とあわせて敷地内への飛び火を防いだと考えられます。また、蔵造りの本来の目的である防火のほか、装飾的な要素も兼ね備えた工夫が随所にちりばめられており、見る者を飽きさせない魅力があります。

倉庫としての蔵ではなく、防火を第一の目的として採用したということです。
その上で、本来はお店なワケですから「味気なくてはイカン!」ということで、本来の蔵造りとは違った工夫が施されて発展してきたとのこと。

何も知らないで見ているとそんなところまで気付きませんが、実に興味深い歴史です。蔵造りの町並みは他にもありますが、歴史まで見ないとダメですね。川越ならではの文化に全く気付きませんでしたから…

で、何で「防火」を優先させたのかと言うと、

川越に蔵造りの町並みが形成される契機となったのは、明治26年の大火です。この未曾有の大火災は、川越商人たちの防火対策への意識の変革をもたらしました。川越商人は江戸時代以来、新河岸川の舟運などによる江戸との商いで富の蓄積があり、復興のための財力は十分にあったようですが、同じ惨事を繰り返さないよう、建物そのものを防火建築にすることを考えました。大火の際に焼け残った建物が伝統的な工法による蔵造り建物であったことに着目し、商人たちは競って蔵造り建築による店舗(店蔵)を建てました。もっとも、東京日本橋には明治10年代に既に蔵造り建物による町並みが形成されていたこともあり、江戸の商人に対する羨望や憧憬もあったのかもしれません。

という事情があったようです。人間の英知を感じます。

観音開扉も、どうしてこんな複雑で重そうな造りなんだろうと思っていたわけですが(笑)、外部との接点をしっかり遮断するため(密閉性を高くするため)で、それが防火や防犯にも繋がっているとは知りませんでした。

厚い壁と、こうした扉の工夫などで、大規模な火災の時でも内部に火が回らず済んだとのことです(Wikipedia参照)。


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